「美術の先生が作った作品展2025」の魅力
一生懸命に作品と向き合う生徒たちのまなざしに心を動かされ、
「私たちも、“表現すること”の喜びを分かち合いたい」――
そんな想いから始まった「美術の先生が作った作品展」は、今年で12回目を迎えます。
ふだんは教壇に立ち、生徒たちを導く美術の先生たち。
そんな彼らの、ちょっと意外で、ぐっと魅力的な“もうひとつの顔”に出会える展覧会です。
出展者は、沖縄県内の小・中・高校、大学、特別支援学校や専門学校、さらには絵画教室など、さまざまな教育の現場で活躍する美術教師たち。
夏の恒例イベントとして、自ら手がけた作品を持ち寄り、展示します。
日々、生徒の指導に心を注ぐ先生たちが、教育現場での経験や思いを作品に込めて表現しているため、一般の美術展とはひと味ちがう、あたたかなまなざしと奥深いメッセージに満ちています。
絵画、彫刻、版画、陶芸、インスタレーションなど、多彩なジャンルがずらり。
様々な作品に込められた想いを感じながら先生たちの個性や創造力をじっくり堪能してください。
そして、もし気になる作品に出会えたら――
ぜひ、その場で先生に声をかけてみてください。
作品の背景や想いを直接聞けるのも、この展覧会ならではの楽しみです。
「美術の先生が作った作品展2025」の開催日程と場所
「美術の先生が作った作品展2025」は、2025年8月5日(火)から11日(月)まで、沖縄県立博物館・美術館にて開催されます。
会場は、那覇市おもろまちに位置し、モノレールやバスなど公共交通機関からのアクセスも抜群。
学生さんや観光客、ご家族連れの方々にも、気軽に立ち寄っていただける便利なロケーションです。
会期中は、作品の展示だけにとどまりません。
出展している美術の先生によるギャラリートークや、子どもから大人まで楽しめる「オリジナル缶バッジをつくろう!」ワークショップなど、参加型のイベントもご用意しています。
作家本人と直接ふれあえる機会や、アートの楽しさを体感できるひとときが、この夏きっと心に残るはずです。
ご家族やお友達と一緒に、ぜひ遊びにいらしてください。
私にとっての「美術の先生が作った作品展2025」
私は、今回で4回目の出品となります。
武蔵野美術大学の工芸工業デザイン科に学び、卒業後は企業に工業デザイナーとして就職。つまり、名前の出ない“裏方”として社会活動に貢献するために携わってきました。
民間での多様な経験を重ねる中、デザイナーの仕事は「想いをかたちにする」ものではあっても、それは“自分の表現”というより、「社会のために機能するものを生み出す」という役割が中心でした。
そんな私にとって、教員としての道に進み、この作品展に出会えたことは、まさに思いがけない幸運でした。
「自分の内側から湧き上がるものを、自由に作品として表現していい」――
そのような機会をいただけたことが、うれしくてたまらなかったのを、今でも鮮明に覚えています。
まるで、創作の世界に飛び込むようにして参加させていただき、温かい仲間たちの輪に迎えてもらえたことは、かけがえのない喜びでした。
創作をしていると、自分の感情がふっと解き放たれ、
まるで心の中に清らかな水がじんわりと満ちていくような、そんな感覚になります。
それは「癒し」とは少し違います。
心が“満たされる”のです。
ときには、創作の中に逃げ込んでしまえば、辛い出来事も、もう何も怖くないとさえ思えるほど。
だからこそ、この創作という営みは、私にとって「生きていくための心の一部」となっています。
作品づくりのテーマは「見えるもの」と「見えないもの」のあいだをつくる
「見えるもの」とは、そこに在る作品そのもの。
一方の「見えないもの」とは、まだ私の頭の中だけに存在しているイメージ──スケッチの段階でとどまっている、かたちにならない思考のかけらたちです。
私が大切にしているのは、このふたつの世界をつなぐ“あいだ”。
それは、目には見えないけれど、たしかに息づいている「可能性の空間」。
いつか生まれるかもしれない、あるいは、永遠にかたちにならないかもしれない。
その儚くも流動的な「間(ま)」こそが、創作の核心にあると感じています。
そうしたコンセプトを表現するために、私は透明感のある素材──レジンを用いています。
かたちの奥にひそむ感情や、目に映らない想いまでも、そっとすくい上げるようにして、ひとつひとつ作品を創っています。
今年の作品_題「どこに流れ どこへ消えてゆくのか」
今回の作品には、サブタイトルとして
「Where It All Flows Away(すべてが流れ去っていく場所)」という言葉を添えました。
波濤のように力強く立ち上がる大きな波が、
やがてその姿をしなやかに変え、
ふわりと花弁のように消えていく——
そんな一連の儚くも美しい変容を、レジンの透明な質感と流動するフォルムで表現しています。
人は皆、それぞれの大きなエネルギーを注ぎながら、
「これだ」と思う何かを見つめ、
自分の進むべき道を決めて歩いていこうとします。
でも、そうして選んだ“方向”は、決して揺るぎないものではなく、
時に迷い、時に揺れ動く、流れるようなものかもしれません。
かつては確かな力を持っていた思いも、
いつしかやさしく軽やかに、美しく昇華していく。
では、その思いは、いったいどこへ行ってしまうのでしょうか——。
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