最晩年のレオナルドが描いた「大洪水」|死への恐怖と心の奥

レオナルド・ダ・ヴィンチ最晩年の素描「大洪水」

レオナルドの深い不安を描いた『大洪水』の素描

死への不安と心の深層

ウィンザー城王立図書館サイト

この素描は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、晩年、自らの死期が近いことを深く感じ取っていた頃に描かれたものです。

死への不安や恐怖が、レオナルドの手稿に残された長い文章の所々に滲み出ています。

渦巻く大洪水を描いたスケッチに潜む残酷さと恐怖は、同じく晩年に手掛けた「洗礼者ヨハネ」に見られる静かな表情とは、まるで対照的ですね。

しかし、確かにレオナルドの心の奥深くに共存していたのは、間違いありません。

大洪水の悲劇を描く、この素描の筆致は、巧みに作られた空想というよりも、レオナルド自身の内面を蝕む深い不安そのものの表れを、そのまま描き出したように見えます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『洗礼者聖ヨハネ』の肖像画
洗礼者ヨハネ

人間の力ではどうにもならない恐ろしさ

ウィンザー城王立図書館所蔵の手稿には、レオナルド・ダ・ヴィンチの手で、素描のイメージとして、次のような惨劇が記されています。

荒れ狂う風に根こそぎ引き裂かれた木々が、氾濫した川の奔流に押し流され、
行く手にあるすべてが水に呑まれていく。

地上の隅々にまで死の恐怖が満ち、人も動物もひと塊となって逃げ惑う。

ある者は必死に木の頂へ逃れようとするが、その木ごと濁流に引き抜かれ、
押し流されてしまう。

この苦難には耐えられぬと希望を失い、絶望のあまり命を絶つ者もいた。

ある者は高い崖から身を投げ、またある者は自らの首を絞め、
さらにはわが子を抱え地面へ打ちつけた者もいた。

ここに記された内容は、レオナルド・ダ・ヴィンチのこれまでの人生で創作されてきた、丁寧に観察し考察を基にした作品のコンセプトとは、少し違うような気がします。

「この大洪水から逃れる術は、どこにもない」という最も残酷で恐ろしい光景です。

死は、まさに人間の力ではどうにもならない恐ろしさで迫ってくる、ということを創造的に表現しているのです。

この素描では、渦を巻いていく「円」と、無数の「線」を繰り返し描くことで、カオス的な要素を生み出しています。

何度も繰り返し描かれた線の中に、レオナルド自身の不安や、抜け出すことのできない恐怖を垣間見ることが出来ますね。

また鑑賞者である私達も、この渦巻の中に引き込まれてしまうような気持になります。

長い歳月を経て悟った 自然のもうひとつの顔

こちらは、下絵の段階のスケッチです。

画面右下に大きな木が描かれていることがわかりますね。

レオナルド・ダ・ヴィンチが記した「木の頂へ逃れようとするが、その木ごと濁流に引き抜かれ、押し流されてしまう。」の木の部分です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『大洪水』スケッチ右下部分の描写
スケッチの右下部分

レオナルド・ダ・ヴィンチは、少年時代にアルノ河渓谷の風景を描きました。

そのスケッチに表れているのは、自然の中にひそむ秩序と、静かな美しさです。

しかし、それから四十年の歳月を経て、彼は自然のもう一つの顔、圧倒的な力を前にして、人間はまったく抗うことができないという事実を深く悟ることになったのです。

老年のレオナルド・ダ・ヴィンチが静かに悟ったもの

レオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の素描『水の習作を持つ老人』。老人と渦巻く水の流れが描かれている

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ひとりの老人を描いた素描を残しています。

画面の右側には、渦を巻きながら激しく流れる水が描かれている、そして老人はおそらくレオナルド自身を映した姿だと言われています。

この素描の中のレオナルドは、いったい何を思っていたのでしょうか。

自然現象の仕組みを理解しようと描き続けた無数のスケッチ,,,,,,

植物や動物の命を探究し、さまざまな方法で試みた数えきれない実験……

しかし、その自然を「制御する」ことを考えたとしても、それは叶わぬことだと静かに悟っているようにも見えます。

かつて、レオナルド・ダ・ヴィンチには「ウィトルウィウス的人体図」にあるような「人間が宇宙の中心にある」という思想がありました。

しかし、晩年の彼の眼差しはむしろ、宇宙の広大さと人間の儚さを静かに受け入れる方向へと変化していたようです。

渦巻く水の中に自らを置いた老人の姿は、知識と理性で自然を理解しようとした生涯の結晶でありながら、同時にその無力さを象徴しています。

レオナルドは、制御できない力に直面したときの人間の脆さ、そして死という避けられない現実に対する深い洞察を、この素描に託したのではないでしょうか。

レオナルド・ダ・ヴィンチの墓

1519年8月12日、レオナルドダヴィンチは、遺言の通りアンボワーズ城のサン・フロランタン聖堂に埋葬されました。

しかし、その後時代が下り、フランス革命後(18~19世紀)になり、この教会は荒廃していたため解体・撤去されました。

残念ながら、教会解体時にレオナルドの遺体を収めていた棺も影響を受けました。

そして、墓地にあった一部の棺は開けられていた可能性があるようです。

また、伝説的なエピソードとして、「鉛(リード)製の棺が溶かされた」「子どもたちが骸骨を玩具のように扱っていた」などの話があります。

その後、1863年、詩人であり美術監督官の アルセーヌ・ウセが旧サン・フロランタン教会跡で発掘を行い、比較的「完全な骸骨(骨格)」を発見したと報告しています。

発見された骨には欠損がなく、また近くに「EO / DUS / VINC…」と刻まれた石片があったとされ、”Leonardus Vinci” の名を連想させるものとして議論されました。

その後、1874年にはこれらの遺骨が アンボワーズ城内のサン・ユベール礼拝堂 に移され、「レオナルド・ダ・ヴィンチの墓」と見なされる場所が設けられています。