レオナルド・ダ・ヴィンチの作品と魅力[最後の晩餐]

レオナルド・ダ・ヴィンチが生涯で完成させた絵画は、わずか12点ほどしかないと言われています。

その理由はいくつかあり、レオナルド自身の持つ性格に由来するものもあれば社会背景によるものもあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、幼少のころから才能を発揮し、14歳で当時繁盛していた画家のヴェロッキオ工房に弟子入りしました。

その才能は、親方ヴェロッキオが筆をとるのやめてしまったほどでした。

そんなレオナルド・ダ・ヴィンチですが、結構な苦労人で、なかなか独立して自分の工房を持つことがなかったのです<続く>。

ここでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの生い立ちや、キリスト教美術に関わる知識を織り交ぜながらレオナルド・ダ・ヴィンチの作品解説をしていきたいと思います。

では、彼の名声を築いた代表作から、一緒に見ていくことにしましょう。

(上)最愛の弟子フランチェスコ・メルツィが描いたレオナルド・ダ・ヴィンチ

伝統を打ち破る構図と表現 「最後の晩餐」

皆さんは、「最後の晩餐」という題材の絵が、レオナルド・ダ・ヴィンチ以外にも数多く描かれていることをご存じでしょうか。

「最後の晩餐」は、イエス・キリストの生涯の中でも大きな節目であり、キリスト教の教えを理解するうえで欠かせない重要な場面です。

当時の画家たちは、いわば職人階級に属し、教会や修道院からの依頼を受けて作品を制作していました。

信徒に聖書の出来事をわかりやすく伝えるために、この「最後の晩餐」の場面も、多くの画家によって繰り返し描かれてきたのです。

(上)13世紀に描かれたサン・マルコ寺院の壁画(ベネチア)

「最後の晩餐」とは、文字どおりイエス・キリストが十字架にかけられる前夜、弟子たちとともに囲んだ食事を指します。
ここで「最後」とされるのには、いくつかの意味があります。

  • 弟子たち(使徒)と共に食卓を囲む最後の晩餐であったこと。
  • そして、イエス自身の人生における最後の晩餐であったこと。

この出来事には、歴史的・宗教的にいくつもの意味が込められています。

イエスは弟子たちと食卓を囲んだとき、パンを取り「これはわたしの体である」と言い、ぶどう酒を「これはわたしの血である」と言って弟子たちに分け与えました。
これが、のちにキリスト教の典礼として受け継がれ、今も世界中の教会で行われている「聖餐式(ミサの中心となる儀式)」の原点になっています。

つまり「最後の晩餐」は、イエスの地上での最後の食事であると同時に、キリスト教信仰を形作る大切な儀式の始まりでもあるという、とても深い意味をもつ場面なのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの革新的な感情と空間の表現

レオナルド以前の「最後の晩餐」は、弟子たちを整然と並べ、儀式的な雰囲気で描かれるのが伝統でした。

この時代には、遠近法はすでに確立されていましたが、当時の「最後の晩餐」は、静かで格式のある場面として描かれることが多く、弟子たちの表情や感情は控えめでした。

ところがレオナルドは、完璧な一点透視図法を用い、奥行きのある広間を緻密に描き出します。一点透視図法の消失点にイエスを描くことで、鑑賞者の視線は、自然にイエスに導かれるという工夫がされています。

近年の研究では、イエスの右の額に一点透視法の消失点を取るための釘の穴が見つかっています。

たまざわふみえ

レオナルド・ダ・ヴィンチが打った釘の痕、さがしてみてね!

その場面で、イエスは静かに言葉を発します。

「あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ろうとしている。」

その瞬間、使徒たちは一斉に動揺しました。
「主は、誰かが裏切ると仰っている(困惑)」
「まさか、そんなことがあるはずはない(否定)」
「主よ、それはいったい誰のことですか(追及)」

見よ、私を裏切る者の手が、私と一緒に食卓にある」と新約聖書にあります。

(上)ユダは、イエスを売り渡すための銀貨30枚の入った袋を右手に握っています。

謎を残したままの使徒ヨハネ

レオナルド以前の絵では、ヨハネはイエスのすぐ隣に描かれるのが基本でした。

ヨハネは「最も愛された弟子」とされるため、イエスの胸元に身を寄せ、イエスの肩に頭をもたせかけるような姿で表現されることが多かったのです。

使徒ヨハネは、イエスの弟子の中では最年少でした。

弟子入りした時には、まだ十代の少年だったという説もあります。

他の弟子たちよりも若かったこと、そしてヨハネだけは殉教せず、ギリシャのパトモス島に流刑されたため長生きしたので、より長く生きたことでイエスの教えを伝えることが出来ました。

そのため、ヨハネは「イエスに最も長く仕えた弟子」ともいわれています。

また、「最も長く仕えた」といわれるのは、最後の晩餐の後、ゲッセマネの園でイエスがローマ兵に捕らえられたとき、他の弟子たちが逃げ去る中、ヨハネだけがイエスのそばに寄り添っていたことにも由来します。

(上)キリストの捕縛 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジォ作

また、十字架にかけられたイエスを、母マリアとともに最後まで見守り、イエスは最後に、ヨハネに母マリアを託したことから、「イエスに最も愛された弟子」とも伝えられています。

下のピンクのローブをまとった人物が、繊細で女性的な美しさをたたえたヨハネの姿です。

これはレオナルド独自の工夫による表現といわれていますが、なぜ彼がこのように描いたのか、記録は残されていません。

その表現は、謎のヴェールに包まれ、現在に至るまで、多くの研究者を魅了し、数々の物語やドラマを生み出す源となっています。

たまざわふみえ

あなたは、なぜレオナルドがこのような表現をしたと思いますか?

ぜひ、コメントに残してくださいね。

レオナルド・ダ・ヴィンチの革新的な臨場感の表現

レオナルドは、弟子たちの仕草や表情に生き生きとした動きを加えました。

パンやワインを前にした手の動き、驚きや戸惑いの表情、そして密やかに視線を交わす瞬間など、鑑賞者である私達もその場に居合わせたかのような臨場感が感じられます。

ユダも他の弟子たちと同じテーブル側に座り、自然な仕草の中で「誰が裏切り者か」を巡る緊張感を表現しています。

画面全体が一瞬のドラマを切り取った舞台のようですね。
これが、レオナルド・ダ・ヴィンチが用いた画期的で伝統を打ち破る表現なのです。