ブリューゲル「反逆天使の墜落」の主題と歴史的背景
「反逆天使の墜落(The Fall of the Rebel Angels)」は、旧約聖書や『ヨハネの黙示録』に基づいた主題です。
「神に背いた天使たちが、大天使ミカエルに率いられた正義の天使たちによって天界から追放される」という壮大な場面が描かれています。
当時、多くの画家たちは、宗教画の中でもとりわけ「善と悪」「美と醜」「秩序と混沌」といった対立が複雑に交錯するこのテーマに挑みました。
ピーテル・ブリューゲルがこの作品を制作したのは、アントウェルペンで活動していた36歳頃のことです。
多数の小さな人物の中に中心人物を配置する構図は、この時期のブリューゲルが好んで用いた形式でした。
制作当時のフランドル地方は、カトリック vs プロテスタントの宗教改革に伴う混乱のさなかにありました。
そのため、作品に登場する悪魔の頭骨や地獄のような風景は、宗教改革をめぐる社会情勢を風刺したブリューゲルのメッセージとも解釈されています。
⇩は反逆天使の墜落(The Fall of the Rebel Angels)の3D動画です。ぜひご覧ください!
下絵(ダイアグラム)に見る創造のプロセス
この作品の魅力のひとつには、豊かな色彩と緻密な描写にあります。
細部まで丁寧に描かれた風景や人物は、強いリアリティを感じさせます。
次に、登場人物たちの表情やポーズの生々しさです。
悲しみ、絶望、苦しみなど、さまざまな感情が繊細に表現され、それぞれが独自の物語を持っているかのようです。
さらに、人物の配置構成にも工夫が見られます。
ブリューゲルは、多数の人物と要素を整理するために、構図用のダイアグラム(下絵)を作成しました。
ダイアグラムの素描には、木炭または非常に柔らかい黒色チョークを用いて描いたといわれています。
これらの技法が、『反逆天使の墜落』の独自の迫力と魅力を形づくっています。


堕天使とミカエルの戦いに込められた意味
「反逆天使の墜落」はキリスト教の世界観に基づく宗教画です。
高慢や嫉妬によって神に逆らい、天界を追放された堕天使たちと、彼らを討つ大天使ミカエル率いる天使の軍勢との戦いを描いています。
この主題自体は伝統的な画題ですが、従来の作品が善の勝利を強調していたのに対し、ブリューゲルの描く画面は混沌とした乱戦のような構成で、善と悪、美徳と悪徳のせめぎ合いそのものを表現しています。
画面上部中央には円形の「天国」が描かれ、そこから墜落するにつれて天使たちは次第に堕天使(悪魔)へと変貌していきます。

堕天使たちは、人間や獣、爬虫類、魚、貝、昆虫、植物、さらには楽器など、あらゆる生物・無生物が融合した奇怪な怪物に変化した姿で、描かれています。






その中には、当時、新大陸から知られるようになったアルマジロの姿も見られ、ブリューゲルの博物学的関心をうかがうことができます。
一方、ミカエル率いる天使たちは長剣を振るって戦っており、高らかにラッパを吹き鳴らしている様子が描かれていることから、天使が勝利したことがわかります。


プロビデンスの目とは?
また、画面左上に描かれた黒い生物は、腕と頭で「眼」の形をつくっており、これは万物を見通す“プロビデンスの目”を象徴しているのではないかと考えられています。

ここで,簡単にプロビデンスの目について、触れておきましょう。
プロビデンスの目とは、直訳すると“摂理の目”または“神の見通す目です。

それはつまり、三角形や光線などを伴って描かれる “神が人間を見守り・導く・裁く” という観念を象徴する図像なのです。
キリスト教美術では、三角形が三位一体(父・子・聖霊)を暗示し、そこに置かれた目が神の全知性・遍在性を表します。
また「摂理(Providence)」という語が示す通り、神が世界や人間の営みを見守り、必要に応じて介入するという観念が込められています。
「反逆天使の墜落」はよく知られたテーマ
「反逆天使の墜落(The Fall of the Rebel Angels)」は、旧約聖書および『ヨハネの黙示録』に基づくテーマです。
描かれる内容は「神に背いた天使たちが大天使ミカエルに率いられた正義の天使たちによって天界から追放される」という壮大な場面を描くものです。
宗教画の中でも、善と悪、美と醜、秩序と混沌が入り乱れるため、多くの画家がこの主題を手がけました。
ここでひとつ、ブリューゲル以前に描かれた美しい作品をご紹介しましょう。
ランブール兄弟作「反逆天使の墜落」[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]
この作品は、15世紀初頭に制作されたブリューゲルの先駆的な豪華な装飾写本です。
天使たちの金属的な輝きと、暗闇へ墜落する悪魔たちのコントラストが美しいですね。

この場面では、神に背いた天使たちが天上界から追放される様子が描かれています。
反逆の首謀者であるルシファーは、高慢さのあまり神のようになろうとしたために堕落し、のちに「サタン」と呼ばれる存在となりました。
天上から堕ちていく光の天使たちが、次第に暗く歪んだ姿へと変化していく様子は、神の秩序と傲慢への戒めを象徴的に表しています。
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、中世写本芸術の最高傑作の一つとされ、その精緻な彩色と構図の美しさで知られています。現在、この貴重な写本は フランス・シャンティイ城のコンデ美術館 に所蔵されています。
ルシファーという名の由来
「ルシファー(Lucifer)」という名は、もともとラテン語で「光をもたらす者」を意味していました。
当初は悪魔や堕天使の固有名ではなく、「明けの明星(=金星)」を指す一般名詞だったのです。
しかし、旧約聖書『イザヤ書』第14章12節に登場する「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」という一節が後世の解釈に影響を与え「天から堕ちた輝く者」=ルシファーという象徴が、やがて堕天使や悪魔の名として定着していきました。
「反逆天使の墜落」はブリューゲルの社会に対する風刺
「反逆天使の墜落」は、冒頭でご紹介したように、宗教改革に伴う、混乱のさなかにあった時代に描かれた作品で、市民の不満や、ブリューゲルの社会に対する風刺が効いた作品です。
ブリューゲルの風刺が効いた部分や、不思議な世界観を、ここにご紹介しましょう。







様々な想像上の生き物がたくさん混在する絵です。じっくりと観て、ブリューゲルの世界観を感じてみてくださいね。











どうぞ、この美しい装飾写本をクリックしてご覧ください